科学技術の価値

ここでは地方衛生研究所の重要性について、公衆衛生行政という枠組みから離れ、社会における科学技術のもつ意義から考えてみたいと思います。

 

科学技術については、大学などにおける研究によってもたらされる新しい知識や、産業的有用性という、何かを生み出す価値が従来から社会的に広く認められてきました。科学技術の知的価値、あるいは産業的価値です。科学技術にはこの二つの価値があるからこそ、国力の根幹にかかわるものとしてその振興が推進されています。

 

しかし、新しい何かを生み出すわけではありませんが、科学技術にはこれらとは別の価値、「社会的価値」を担うものもあるということを見落とすわけにはいきません。

 

2004年、「安全・安心な社会の構築に資する科学技術政策に関する懇談会」が文部科学省に提出した報告書では、そうした科学技術の社会的価値の重要性が指摘されています。

 

懇談会の報告書はこちら

 

報告書は、社会の安全・安心を脅かす危険・脅威が顕在化してきており、科学技術はこれらに対処し、社会の安全・安心を確保するために重要であり、国民の期待も高まっているとして、今後の科学技術政策の方向性として、社会の要請に応え、社会的価値を創出することは、知的価値の創出、産業的価値の創出と並び重要な基軸である、と謳っています。同報告書は、新しい科学技術政策の方向性を示すものであり、社会における科学技術の役割を明らかにしたものです。

 

同報告書が掲げる安全・安心を脅かす要因のなかには、感染症、食品衛生、大気汚染・水質汚濁、室内環境汚染、化学物質汚染など、地方衛生研究所が対象とする分野が数多く含まれています。さらに、このような人の生存を脅かす問題から安全を確保するためには、感染症対策に資する予測・診断・治療法の開発、環境中有害物質の検出法の開発、さらに感染症・化学物質汚染などによる被害予測のシミュレーション技術の開発など、研究開発が重要だとする一方で、「安全・安心の確保のためには、社会制度的な対応と一体となって科学技術を推進することが必要」だとしています。

 

同報告書の主旨は、人の生存を脅かす課題を解決するには、新たな科学技術を開発研究すべきだ、という点にあります。報告書を作成したのは文部科学省系の懇談会であり、公衆衛生を担当する厚生労働省系ではありません。皮肉な見方をすれば、社会的関心を集める「安全・安心」を取り込んで科学技術振興政策を示した、と見ることもできます。しかし一方で、公衆衛生分野の重要性に気づき、地方衛生研究所が取り組んできた業務に注目して、そこに科学技術の新たな価値を見いだしている、といえます。この報告書では「地方衛生研究所」が明示されているわけではありません。しかし、報告書の文脈からすれば、地方衛生研究所の科学技術は社会的価値を持つのだと明言していると考えてよいと思います。

 

 公衆衛生の科学技術が、単に行政の説明責任の為だけのものであるのなら、その社会的価値も低いといわざるを得ませんが、公衆衛生行政において地方衛生研究所が果たすべき役割とは、まさにこの報告書が重視する社会的価値の追求だといえます。

 

科学技術の知的価値、産業的価値と社会的価値を担う地方衛生研究所との比較を下図にまとめました。

 

2者と社会的価値の違いが明確なのは、関心が移動するかどうかという点です。大学などの研究は、その最前線は常に移動していき、それでこそ新しい知識を生むわけです。また、産業分野では利益がなければ撤退ということになります。これに対して、社会的価値を担う地方衛生研究所の科学技術は継続性が重要です。例としては主要業務であるモニタリング調査などがあります。

 

公衆衛生分野のほかに社会的価値を担う科学技術としては、社会基盤となっている交通、上下水道、電力、さらに情報通信などが考えられます。このなかで公衆衛生における科学技術は、とくに行政制度と一体化している点に特徴があります。

 

大阪における府・市両地方衛生研究所の統合・法人化案は、地方衛生研究所の科学技術がもつ社会的価値を認めていない故に登場してきたのだと思います。案を作成した人たちには、価値がないものと映っているのでしょう。だからこそ、周知の分かり易い産業的価値をもった研究所に役割転換することが目論まれているのではないでしょうか。

 

役割転換の目論みについてはこちら

 

これに対して、科学技術には知的価値や産業的価値だけではなく、それらとは異なる「社会的価値」というものもあること、その好例が地方衛生研究所の科学技術であることを強く主張したいと思います。そして地方衛生研究所の科学技術については、その社会的価値が正当に認められるべきであって、また地方衛生研究所こそが社会的価値を追求すべき存在であることを強調しておきたいと思います。


2013.12.31