「健康危機管理」小史

ここでは、「健康危機管理」という言葉が使われるようになった経緯と、「健康危機管理」の体制整備の経緯について概観しています。

 

 

◆危機管理

 

現在ではよく耳にする「危機管理」という言葉は、そもそもいつから使われるようになったのでしょうか。大学図書館の本を探すデータベースCiNiiを使って、タイトルに「危機管理」を含む、「図書・雑誌」を検索してみました。

 

CiNiiこちら

 

抽出された本のタイトルを見ていくと、次のことがわかります。

「危機管理」という言葉は、1970年代の石油ショック以降に、使われるようになったもので、国家の安全保障を論じたものもあるものの、主にビジネス界を中心に使用されていました。ところが1995年に起きた阪神・淡路大震災を契機に、他分野にも一気に拡大していきます。

 

総務省「地方公共団体における総合的な危機管理体制の整備に関する検討会」の第10回会合(20071130日)における配布資料によると、内閣を中心とする緊急事態に対処する体制がどのように整備されていったか、主な経緯がリストアップされています。

 

「内閣における危機管理」はこちら (2732コマ;参考資料2-3

 

ここで危機管理とは、「国民の生命、身体又は財産に重大な被害が生じ、又は生じるおそれがある緊急の事態への対処及び当該事態の発生の防止をいう(内閣法第15条)」と、定義されています。

 

この資料(32コマ目)によると、1996年には、官邸に「危機管理センター」というものが設置され、1998年には、「内閣危機管理監」というものが置かれています。このように1990年代後半以降、「危機管理」は行政用語としても定着しました。


なお、現在の日本の危機管理体制は、2013313日に官邸で開催された、第2回「国家安全保障会議の創設に関する有識者会議」の資料2「我が国の危機管理について」で知ることができます。

「我が国の危機管理について」はこちら


この資料では、危機管理として対応すべき事態として、防衛・防災を中心にリストアップされています。公衆衛生関係に関わるものは、2枚目のスライドで説明されている「緊急事態の主な分類」のなかに「その他」として「新型インフルエンザ(ヒト・ヒト感染)」があります。

 

◆健康危機管理

 

行政用語としての「危機管理」は、公衆衛生分野では「健康危機管理」という言葉になります。「健康危機管理」を使ったことが確認できる最初は、厚生省が199719日に示した「健康危機管理基本指針」(厚生省発厚第1号)です。「健康危機管理」は、これ以降公衆衛生行政を中心に使われていきます。

 

この指針では、「健康危機管理」を次のように定義しています。

 

「医薬品、食中毒、感染症、飲料水その他何らかの原因により生じる国民の生命、健康の安全を脅かす事態に対して行われる健康被害の発生予防、拡大防止、治療等に関する業務であって、厚生労働省の所管に属するもの」。

 

元々公衆衛生行政は、人々の健康に影響を与える事態に対して、何らかの対応をすることをその役割としてきました。「危機」や「管理」という言葉を使わずとも、そのような事態には対応していたのです。国が「危機管理」という新しい概念を打ち出すようになったのを受けて、公衆衛生行政は「健康危機管理」を使って、その一部の業務を再定義したといえるかもしれません。

 

◆「健康危機管理基本指針」

 

「健康危機管理基本指針」では、健康危機管理に対応する中央官庁である厚生労働省における対応について、どんな事態にどのように対応するかが規定され、情報の収集、対策の決定過程、対策本部の設置、研究班及び審議会での検討および情報の提供について書かれています。

 

情報収集は、担当部局(下記参照)が健康危機の発生情報について窓口を設置して集めるほか、原因不明などの理由で入手しにくい情報は、都道府県や医師会の協力の下に保健所から、あるいは国立病院機構の各病院を通じて行うこと、とされています。ここで情報収集の末端機関として重視されているのは、保健所と国立病院、とりわけ保健所です。

 

また情報の的確な把握と対策を検討するために、地方支分部局、国立試験研究機関、国外の関係機関(世界保健機関、米国食品医薬品庁、米国防疫センター等)、都道府県、研究者等を通じて広範かつ迅速な情報収集に努めること、ともされています。

 

厚生労働省内の関係部局における情報交換や調整を行うため、「健康危機管理調整会議」を設置することも定められています。主査は大臣官房厚生科学課長。この会議で基本指針の作成や、分野別の実施要項策定の支援を行うことや、会議は定期的に開催することなどが決められています。

 

1997年版の指針は、調べた限りではネット上に存在していないようです。しかし現行のものとの違いはほとんどなく、機構改革による厚生労働省の各担当部局の名称が変更になっているのと、一部分が削除された程度だと思われます。

 

1997年版と現行版の違いは以下の通りです。

・健康危機管理担当部局は、

1997年版=健康政策局、保健医療局、保健医療局国立病院部、生活衛生局、生活衛生局水道環境部及び医薬安全局

現行版=医政局、健康局、医薬食品局、医薬食品局食品安全部及び労働基準局安全衛生部

・現行版には「地方支分部局」が役割担う組織として新しく登場

1997年版からの削除

2章第4節 「研究班及び審議会での検討」

3)重大な健康への被害の発生が疑われる問題については、健康危機管理担当部局は、適宜、関係審議会を機動的に開催し、必要な対策等について意見を聞くとともに、必要に応じ、厚生科学審議会において大局的見地からの審議、提言を受けるものとする。 (下線部分削除)


現行の「健康危機管理基本指針」はこちら

 

◆「地域保健対策の推進に関する基本指針」

 

健康危機管理について、中央官庁については以上のような規定が設けられましたが、実際に実務を担当する現場はどうなのでしょうか。公衆衛生行政において、地方の現場で中心的役割を果たしているのは保健所です。保健所のあり方については1980年代から検討されてきました。その結論として、1994年に従来の「保健所法」を「地域保健法」と改称する法律が成立します。

「地域保健法」はこちら

このときの大きな変更は、直接的な対人保健業務は市町村保健センターに移管し、保健所はより専門的、技術的業務を行うようにする、というものでした。この「地域保健法」では、「地域保健対策の推進に関する基本指針」を定めることが決められていて、「地域保健法」施行に伴い基本指針も1994年に定められています。この1994年版の基本指針には「健康危機管理」という言葉は登場していません。それが1997年の「健康危機管理基本指針」を受けて、2000年の改正で大きく変わります。

 

阪神・淡路大震災など、地域住民の生命や健康の安全に影響を及ぼすおそれのある事態(いわゆる「健康危機」)が頻発したことを理由として、「地域における健康危機管理体制の確保」というものが前面に登場してきます。この「健康危機」の頻発とは、1995年の阪神・淡路大震災、同年の地下鉄サリン事件、1996年の病原性大腸菌O157の全国的大流行、1998年の和歌山カレー事件および1999年のJCO東海村臨界事故などを指していると考えられます。

 

この改正された地域保健対策の基本指針は、現場における健康危機管理体制をどう整備するか、都道府県・市町村、保健所および地方衛生研究所、それぞれの役割やあり方を示しています。とくに保健所は、危機管理の拠点として位置づけられました。保健所は平素から地域の保健医療の管理機関として、情報収集や関係機関・関係団体と調整を行うこと、また地方衛生研究所は健康危機管理に際し、科学的かつ技術的側面からの支援を行うこと、平時からの調査及び研究の充実による知見の集積、並びに研修の実施をおこなうこと、と書かれています。

 

地域保健対策基本指針2000年改正はこちら

 

 

◆「地域における健康危機管理について―地域健康危機管理ガイドライン―」

 

2001年には、「地域における健康危機管理について―地域健康危機管理ガイドライン―」によって、具体的で詳細な体制整備の目標が定められます。

 

ガイドラインはこちら

 

それによると、保健所が健康危機管理への対応で重要な役割を担うとされ、平常時から法令等に基づいた監視の充実などの発生防止活動、健康危機発生時の対応、飲料水・食品等の安全確認や被害者の心のケア等を含む被害回復の取組みなど、一連の行なうべきことやそのために整備すべきことが書かれています。

 

一方地方衛生研究所の役割は、本文中で保健所との関係の中で断片的に記載されていますが、別紙2「地域における健康危機管理に関する地方衛生研究所の在り方」で、その役割が明記されています。地方衛生研究所の役割は、「保健所を中心とした一連の取組の中で、被害の拡大を可能な限り防ぐために最も重要な対応の一つである迅速な原因物質の分析・特定」を担当するものであり、「地域における専門的知見や高度検査機能を有する機関として協力連携」を行うべきだとされています。健康危機発生時に確立できるものではなく、「普段からの準備・体制整備が不可欠」だとも記されています。

 

このガイドライン作成で地方の体制の枠組みづくりも終わり、さらには医薬品・感染症・飲料水・食中毒などの個別分野のマニュアルも作成されました。


これら一連の文書はこちらにあります。「健康危機管理について

 

以上をまとめると「健康危機管理」体制は、1997年の「健康危機管理基本指針」にはじまり、2000年の「地域保健対策の推進に関する基本指針」の改正を経て、2001年のガイドライン「地域における健康危機管理について」で、従来の公衆衛生行政の一部の再定義が行なわれると共に、保健所の役割転換も組み込みながら、上から下に向かって整備が進められ、文書的には完成をみたのでした。その後、地域保健対策基本指針は、2003年および2012年に改正がおこなわれていますが、大きな変化はありません。日本の健康危機管理体制は、2000年前後に基本的枠組みやあり方が決定されたといえるでしょう。


地域保健対策基本指針2003年改正はこちら

地域保健対策基本指針2012年改正はこちら


2012年の改正では、健康危機管理に関係するところでは、2011年の東日本大震災を受け、大規模災害時における保健所のあり方を示すとともに、2012511日の新型インフルエンザ等対策特別措置法(法律第31号)成立を受けてその行動計画の策定を求めています。


しかしその後、健康危機をとりまく環境やその基盤は大きく変化していきます。

健康危機を引き起こす人や物の国際的な動きを促進する世界のグローバル化のさらなる展開、米国におけるテロの発生、国際政治における感染症問題への注目、加えて国際社会が健康危機管理に取り組む枠組みとなる国際保健規則の改正がありました。その一方で日本では、行政改革の進行による公衆衛生を担当する組織基盤の脆弱化が起きており、事態は深刻化・複雑化しています。

 

国際保健規則についてはこちら

基盤脆弱化についてはこちら


2013.9.5