大阪における地方衛生研究所の法人化問題は、日本の公衆衛生行政を統括している厚生労働省が、地方衛生研究所に対して実態を無視した低い評価しか与えてこなかったことが、背景にあると考えられます。厚生労働省は、行政組織のなかにおける地方衛生研究所の位置づけを怠ってきました。従来から「機能強化」という精神論を繰り返してきただけであり、実際は地方自治体任せにしてきました。その軽視の帰結として、地方衛生研究所が担っている業務や使命に無知な「大阪問題」を生んだといえます。ここでは、このような地方衛生研究所に対する低い評価を改め、正当な法的位置づけが必要であることについて、考えてみたいと思います。
地方衛生研究所は、現在すべての都道府県、ほとんどの政令指定都市、および一部中核市などに設置されています。しかし、「地域保健法」で都道府県、政令指定都市および中核市などにその設置が義務づけられている保健所のような、法的義務のある機関ではなく、設置は自治体に任されています。
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では各自治体の設置条例以外に、どこにその根拠があるかといえば、それは1997年の厚生省事務次官通達「地方衛生研究所設置要綱」(厚生省発健政第26号)です。
「地方衛生研究所設置要綱」はこちら
そのほか、法律そのもののではなく、法律を支える要綱などの付随的な文書のなかで役割が規定されています。その一つが感染症関係にあります。1998年に「感染症の予防及び感染症の患者に対する医療に関する法律」(法律第114号)が成立しました。これが翌年から施行されるのに伴い、「感染症発生動向調査」が感染症対策の大きな柱として位置づけられました。この調査は、感染症の発生状況の把握や分析、情報公開を行うことでその発生や蔓延を防ぐ目的で、1981年から実施されてきたものです。この事業を定めた「感染症発生動向調査事業実施要綱」のなかで、地方衛生研究所は病原体検査を担当する機関、あるいは情報センターを置く機関と位置づけられています。
「感染症発生動向調査事業実施要綱」はこちら
また「地域保健法」では、「地域保健対策の推進に関する基本指針」を定めることになっており、この指針で同法を進めるにあたっての方向性、そのための組織機構や運営に関する方針が明文化されています。
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地方衛生研究所は、この基本指針のなかで地域保健対策を実施するために、また健康危機管理においても、科学的、技術的な側面から支援する機関であると位置づけられています。これ以外に、薬事法、水道法、食品衛生法ほかで、試験検査の実施が定められている法律に基づいたデータを生産する、ということもあります。しかしこれらは、業務の中身が定められているだけで、機関として規定されているわけではありません。
横浜市衛生研究所で示されている関係法令はこちら
要するに法律で地方衛生研究所の設置を規定しているものはなく、「要綱」や「指針」という法律よりは低いレベルで、業務や役割が定められているに過ぎないのです。法的に設置が規定された保健所の附属品という位置づけだといえます。
地方衛生研究所関係者は、その設置に法的根拠を与えるよう求め続けています。
「全国民に均しく保健衛生上の『安全・安心』を保障」するために、また地方衛生研究所がNBCテロ対応方策に来み込まれるなど、従来にない役割も付与されるようになって、そのための体制整備が求められているが、現状ではその根拠が不明確である、として何らかの法的整備を求める提言が2007年に出されています。
『健康危機管理のための地方衛生研究所のあり方(提言)』(2007)
このような地方衛生研究所の設立に法的根拠を求める動きについては、実は創設期からの歴史があります。1950年代に全国的に地方衛生研究所が創設されていくのですが、このとき各地の地方衛生研究所の間に格差が生じていました。そこで人員や予算を確保し易くして格差を解消するためにという理由で、その設立に法的な根拠を求める法制化運動が繰り広げられました。しかし結局、法制化には至らずに運動は終ります。私は、この運動が不成功に終わった背景には、行政組織のなかに根深い技術軽視があるためではないかと考えています。
この運動に関しては、拙著『技術からみた日本衛生行政史』第5章第3節をご覧ください。
一方で、公衆衛生行政についてみると、公衆衛生行政全体は対人中心であり、人の健康保持・増進が重要課題としてあります。加えて社会はどうかというと、医療は注目を浴びますが、公衆衛生は健康危機のとき以外さほど社会の注目を集めることはありません。何か起きれば関心は急速に膨らみますが、収まればそれまで、メディアが取り上げている間だけに関心が集まるということがこれまでも繰り返されています。
地方衛生研究所軽視の根本的原因は、行政組織のなかの技術軽視にあると思いますが、加えて公衆衛生行政の対人中心主義や社会の公衆衛生に対する無関心も背景にあると考えられます。
さて、行政組織のなかにおける地方衛生研究所が正当に位置づけられていない結果、行政が作成する文書中にその名前が明記されないということがおきます。たとえば、2012年5月9日に厚生労働省で開催された第5回厚生科学審議会健康危機管理部会の参考資料である「厚生労働省健康危機管理体制のイメージ図」のなかに、本来なら保健所と共に書かれてもよい「地方衛生研究所」がありません。
「厚生労働省健康危機管理体制のイメージ図」はこちら
地方の健康危機情報は保健所、都道府県から得るのであって、地方衛生研究所は楽屋裏の存在であるということで、危機管理体制を構成するメンバーのなかには入っていないのです。もっとも、このイメージ図のなかでは検疫所も抜けています。このイメージ図は健康危機管理体制を表すものだとしながらも、その取組みの全体像を表すものではなく、厚生労働省を中心にした単なる行政事務のフローチャートなのでしょう。これに対して、健康危機管理において重要な柱の一つに感染症サーベイランスというものがありますが、その実務を担っている現場からみた図(岡部 2010)は、全く異なるものです。
岡部信彦「最近の感染症の動向」『診断と治療』第98巻第8号,2010年,1228-1234頁.
ともあれ地方衛生研究所は、行政組織のカルチャーに則った法的位置づけがなされていないことから、行政の公的文書に「地方衛生研究所」が明記されず、それがさらなる地方衛生研究所軽視につながり、その結果行政組織のなかでさらに低い位置づけになる、ということが起きているのです。地方衛生研究所は、不当な過小評価のスパイラルのなかにあるといえます。
地方衛生研究所の現場からは、小澤(2013)という切羽詰まった報告も出てきています。それによると、地方衛生研究所は、地方の行革において「定員・予算削減の『草刈り場』」となり、その果てに、一部の機関では機能するための基盤が崩壊しつつある。もはや地方任せにすることには限界がきており、近い将来何らかの手を打つ必要がある、と主張されています。事態はこれほどに深刻な状況で、待ったなしになっているのです。
小澤邦寿「地方衛生研究所の将来」『公衆衛生』第77巻第1号,2013年,48‐53頁.
地方衛生研究所について、実態に即した正当な評価がなされること、行政組織のカルチャーに沿った何らかの位置づけがなされることが喫緊の課題ではないでしょうか。ただしこの解決策として、大阪で動きのある地方独立行政法人化はあり得ないと思います。大阪の法人化案では、行政が公衆衛生に責任を持ち続けられるとはとても考えられません。
2014.2.22